さくらボーイ

 

言葉にならない キミの『サヨナラ』に
まだ受け入れられないことばかり
でも僕の前にもうキミは見えない
抜け殻さえ粉々に

儚いから 綺麗なんだってさ
そんなこと灰色になった今 聞きたくないのさ

さくらのような 君でした 春のような 恋でした
いつまでも 続いてゆくと そんな気がしてた
風が吹いて 散るように はらはらと 散るように
あの風が 連れ去ってゆく
舞って 待って 僕のさくら

 

 

 

 

 

 

 

 

自分的に名前はもう出したくないから 彼 と呼ぶけど、彼を知って好きになってもうすぐ6年。

 

 

 

 

この曲の2番の歌詞を聴いた時、私にとって彼は「さくら」だったんだと。
言葉を足すなら、"その年だけに"咲いて舞って散っていった「さくら」だったんだと。

 

 


でも、彼自身が「さくら」というわけではなくて、。
だって彼は、また次に同じような姿を見せる道を選ばなかった。

 

 


ただその「さくら」は"私にとって"。私と同じように 彼 のことを応援していた人もたくさんいた。だけれどその“多くの人にとって”の彼は「さくら」ではなかったはず。

 

 

 


そうやって言えるくらい彼のことを知ってから その花 が咲いていた私の日常は一瞬だった。
桜 みたいに一瞬で散っちゃった。

 

 

 


知って好きになったのは夏だったのに、「さくら」が舞う春だったんだって、この曲聴いて知らされた気がした。

 

 

 

 

何回もこの曲聴いてたし、ましてやほんの数日前に関西ジャニーズjr歌ったよ(!)、一瞬で会場内に桜を咲かせたの覚えてる。 今まで気づかなかった自分に驚くくらい2番の歌詞が2012年のあの時を綴ってるみたいで、帰り道涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 


振り返れば、雑誌を通してファンになったけど、実際関西ジャニーズjr 7WEST としての彼を好きになったのか、はたまた関西ジャニーズjrとしての彼なのか、もしかしたらもう去ってしまった彼を好きになったのか、それが未だにわからない。わからないから今でも知りたいと思っちゃう。

 

 

 

 


ファンとして彼に出会う以前以後見ても、自分はさまざまなジャンルに興味を持って、好きならとことん知って聴いて見て、。その中で彼を知って好きになってファンになったことは今でも特別。彼、彼らを見ることが幸せで生き甲斐。毎日笑い漬け。見るものは少なかったけど、それでも毎日毎日新しい発見をして、好きを吸収して、彼、彼と一緒にいる仲間たちとの空間が素敵で、夢中になっていって。

 

 

 

 


まだあの時13歳だったけど 本当に彼に、彼らに出会えてよかったと心の底から感じた気持ちは今でも変わってない、変わらないずっと。

 

 

 

 


他の仲間たちが去っていくことを知ったことで今まで自分の見てた世界が当たり前じゃないことも知ったけれど、そんな
先に暗いものがあるかなんて見えなかったし、夢中すぎてその一瞬一瞬に必死で余裕なんてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっとその「さくら」は舞ってたけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人々よりも遅く現実を知った時、自分の見ていた「さくら」が散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの歌詞のように 受け入れられなかった。情報は出てたでもね、この目で確認すらできなくて、もうなにもかもわからなくなった。受け入れたくなんかなかった。会いたいと思っていたのにもう会えない事実。「なぜ」すら教えてくれない。そんな納得できるわけ、、そんな風に考えながら過ごしてたらやってきた10月のラジオ、やってきた少年倶楽部in大阪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の声は聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


彼はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聴こえてきたのは4人の声

 

 

 

そこにいたのは

笑顔で踊っている4人と仲間たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「さくら」は散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散って終わるはずだったのに、自分は自分の中で何度咲かせようとしたんだろう、何度その散った「さくら」を見たんだろう、何度その「さくら」の行く先を見届けようとしていくんだろう。もうその「さくら」は咲かないのに。咲かないけど、自分には見えないところで咲いてるんだろうなきっと。そこで笑顔にしてるんだろうな。そこではまた咲くんだろうな。

 

 


あの時の傷(悲しみ)はもう一生消えない。人と比べたらそれって小さな傷かもしれない、これから先自分自身が大きい傷を負うことだってあるかもしれない、でも傷は傷。この5年半がそうやって言ってる気がするんだよね(笑)
一生癒えないんだろうなって思うけど、

 

 


今、その時だけじゃない、また次もその次も咲いてくるって私が信じてる『さくら』、『さくらたち』を見てる。また咲いてくる幸せ、素晴らしさ、ありがたみを教えてくれるのは 彼(「さくら」)のおかげでもあって、彼(『さくら』)、彼ら(『さくらたち』)のおかげでもあるんだな〜

 

 


やっとここまでこれた、5年もかかるなんて思いもしなかったけど、それほど好きなんだろうし、結局のところ自分の好きなものの 核 となる存在。色々あったけど、芯の部分は変わってなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年自分が桜になりたいと思った。毎年花びらを咲かして人々を笑顔にしてる桜が羨ましくて、。
植物と人間そりゃ同じではないから、なれるわけないけど、桜みたいになろうと思えばなれるかなって思えた。
毎年咲かすのは大変だけど、1度でも咲かすことできるよねきっと。いやできる。
来年の桜がすごく楽しみで仕方がない。
桜にこんな魅力を感じるとは。

 

 

 


自分の好きな彼らにも桜を投影させてしまって、いっとき、桜は毎回咲いて散るそしてまた咲く、同じことをしてるんだよなって思ったら、それは彼らと違うんじゃないかなって思った。彼らは毎年同じことをしてるわけじゃないから。だけど、桜も毎年必ず同じ咲き方じゃないだろうし、違う咲き方、舞い方、花びらの形、見る人も違う、前とは違う散り方をしてまた新しい形で咲いてくるって気づいた時、大きな変化はなくても小さな変化か、って勝手に彼らを再投影してた。

 

 

 


だからこれからどう咲いていくのか楽しみ。楽しみ以外のことだってある、それでも見ていくだろうから、それでも咲いてくることの嬉しさは絶対あるから。

 

 

 


自分は来年自分自身の桜を見るために、変化しなきゃいけないんだと強くそう思う。同じじゃダメでもっと変わらないといけないんだって。何年も何年も前から変わりたいって思ってきた、思ってきてもできないことが多かった毎年毎回自分に言い聞かせてきた、もう変われないんじゃないか、今でも不安。だけど、そこに向き合わないといけないし、それが自分への試練、乗り越えるところ。たぶん自分には時間がかかることなのかもしれない。変わることの難しさをこれほどまで知って、苦しいし、嫌にもなるきっと、後悔もする、それでも桜が見たいし、もう1つの『さくら』も見たいし、変化した自分も見たい。

 

 


楽しいこと楽しすぎたこと嫌なこと悔やんだこといっぱいあった。
桜が自分自身に影響を与えて、自分の好きなものに対しても新たな発見を知らせてくれた。
その魅力を知ることができたこの春は無駄じゃなかった。

来年は自分自身の桜満開に咲かせたい、。

 

 

咲かせる。